#23 医療プレイ




 やばいとは思った。
 夜を徹して張り込んだ場所は有り難くて涙が出る位風通しが良く、次のサイトー達に代わった時には嫌なだるさを感じる程になっていた。
 ここ最近の激務を考えれば確かに体の抵抗力が低下しているかもしれない。
 だから、そう察したトグサはいち早く課に戻るや否や薬を飲んだのだ。
 だがここでトグサは迂闊にも数個の初歩的な誤りをおかした。

1)睡眠促進効能がありますので、運転前の服用はお避け下さい。
2)空腹時を避け服用下さい。

 使用条項に書いてある注意はトグサだって分かっていたはずだがうっかり失念していたのか、それともこの位なら平気だと軽視してしまったのか。
 どちらにせよ、徹夜あけの生身の体に薬は皮肉にも大変よく効いた。
 彼が自分の犯した失態に気付くまもなく、仮眠室に向かうより早く、トグサは撃沈した。



 茶色い塊をソファーの向こうに見た時、パズの険しい眉はさらに鋭角に持ち上がった。
「トグサ… 風邪をひくぞ」
 室温が調整されたミーティングルームとはいえ、何も掛けずに寝ては体温を奪われる。
 それでも惰眠を貪る同僚の体を揺らしてやると、体が転がり、妙に赤らんだ顔がこちらを向いた。 額に手をやると明らかに通常体温より高い熱が伝わってくる。
 こんなトコで寝てるからだと舌打ちするが、テーブルの上にある封の開いた薬箱を見て、トグサが辿っただろう経過が推測出来た。
 どうしたものかとパズは咥えていた煙草をまだ吸い切らない内に灰皿に押しつける。相変わらずの渋顔のパズだがどうやら焦っているらしい。
 不幸にしてパズは張り込みの交替要員として出る所だった。相手が他の面子なら事情を説明すれば30分位の遅れは分かってくれるだろう。
 だが、パズがこれから交替する相手は草薙だった。
『おい、トグサがミーティングルームで熱出して死んでる。俺はもう出なくちゃならないんで誰か世話頼む』
 皆の現在位置をトレースし個別に伝えるのが面倒だったのだろう。手っ取り早くパスは電通を全オープンにして急ぎ早にそれを伝えた。
 冷静に考えるならそれは誤った行為だった。そういう意味で言えばパズはやはり焦っていてわずかに平常心を欠いていたようだ。
 だがその電通を受信した良識ある9課の面子がそばにいなかったのはパズの責めではない。

 つまりその電通はトグサにとって最悪な存在に受理される事となったのである…


「…だって」
「相変わらずトグサくんはヤワだなぁ」
 苦しんでいるトグサの足下遥か下で手厳しい事をわやわやと言いたい放題なのは成長するAI達タチコマだった。
「一応今のパズさんの電通みんな受信したみたいだけど… あ、バトーさんだけ受信してないや。あぁこりゃ駄目だね。みんなビルから離れてるよ」
 面々の現在地をトレースしていたタチコマが言う。
「トグサくん運が悪いね…」
「どうする?」
「どうするって…」
 一体のタチコマが告げた言葉に他が返事を探して沈黙した。
 そして。
「…あのままじゃトグサくんの風邪悪化しちゃうよね?」
 その音声には言葉どおりの心配より押さえ切れない好奇心に期待する色が濃厚に滲んでいる。
「じゃあ僕らでトグサくんを看護してあげようじゃないか!」
「異議なーしっ!」
「あぁ僕らって優しいなぁ」
「バトーさんも褒めてくれるかな?」
「天然オイルくれるかも…?」
 もちろんタチコマ達の指す「看護」が実態はその意味から180度かけ離れたものである事は9課の人間なら皆がしる所だが彼らはいない。それはトグサの死と同意語でもあった。
 数分後、タチコマによって電脳ハックされたオペレーターにより哀れな被験体もとい病人が運ばれてきた。
 一見非力に見える女性型アンドロイドが、彼女よりも上背ある成人男性を担いで廊下をゆく様は異様だっただろう。だが不幸にしてその異様な光景を目にした者はいなかった。だから彼はここにいる。
 どさりと荷物のように下ろされたトグサを取り囲み、タチコマ達の飽くなき生命への好奇心は幕を開けた…
「えーと、患者の体温は38.2度でーす!」
 アームを振り上げトグサをサーモスキャンしたタチコマが報告する。
「熱が高いね」
「えーと、そういう場合、体を暖めて、でも熱を下げるために冷やすんだって」
「じゃあ暖めまーす!」
「僕は冷やしまーす!」
 トグサの体に向かって温風が、顔に向かって冷風が一斉に吹き付けられる。
「や、冷やすのは氷や水でぬらしたタオルがいいみたいだよ?」
 病人介護のデータを検索していたタチコマが、大ざっぱすぎる仲間の冷却措置に忠告した。
「氷?」
「ぬらしたタオル?」
 彼らはそれぞれを探し、ハンガーをサーチする。
「掃除用のモップじゃ駄目かなぁ?」
「マツイさんが忘れてったタオルがあるよ」
「あれオイルで汚れてるけど、ま、いいか」
 ちなみにそれは形状はタオルであるが、世間では雑巾と呼ぶレベルのものである。
 モップと雑巾。どちらにしても間違いなく病人に乗せてやるものではない。万が一熱が下がったとしても衛生上別の病気を併発しそうだ。
 それらを乗せられようとしたいた直前、救いの手が伸びてきた。
「お待たせー 氷持ってきたよ!」
 バケツにがさごそと氷を運んできたのは別のタチコマだった。余談だか彼が氷を拝借したのはハンガー入口にある自販機からであり、当然の事ながらそれは見るも無残に破壊されている。病人の救命が何よりも優先という精神を順守してくれてるのはありがたいが、程度というものは悲しいかな彼方へ追いやられているようだ。いや、もしかしたら地球圏外にある衛星から届いていないのかも知れない。
 この破壊された自販機の賠償はどこへいくのか。こんな目にあった上に責任まてとらされるなら、いっそ元気にならない方が彼の為ではないのか。他の仲間がいたら彼らは揃ってそう涙するだろう。
「じゃあトグサくんに氷〜」
 その判断は間違ってはいない。
 だが手段は大きく間違っていた。
 あろう事かタチコマは豪快にそのバケツをトグサの上で逆様にしたのだ。自販の飲みやすく粉砕された氷がトグサの顔の上に山を作る。窒息の心配をしてやるのが最も優先される彼の救命措置だろう。
 どんな熱にうなされていてもさすがにこれには起きる。起きなかったら永久におやすみしてしまう。
「うわーっ!?!?」
 飛び起きたトグサは自分を見下ろすタチコマ達と対面し、目を瞬かせた。
「トグサくんが元気になった!」
「僕達の介護が効いたんだ!」
 病人を放って万歳三唱するタチコマに、現状を把握しきれていないトグサが聞こうと立ち上がった足は体を支える事を放棄した。もつれた足に続いて激しい目まいに襲われる。
「あ、駄目だよトグサくん! 熱があるんだから!」
「熱…?」
 タチコマの言葉をトグサは繰り返しながら回想する。そう、自分は張り込みから帰ってきて風邪薬を飲んでそのまま…

 何でここにいるんだ?

 トグサの何か問いたげな顔から察したのか、タチコマが偉そうにえへんと本体を逸らすようにボディを動かす。
「僕たち、トグサくんを助けるようパズさんに頼まれて、看病する為にここに連れてきて貰ったんだよ」
 別にパズが直にタチコマに頼んだわけでもなく、更にオペレーターロボットをハックして連れてこさせたのだが、故意か過失かその辺は触れられていない。
 これではパズがタチコマの所にトグサを運んだようないい回しだ。これから何が起ころうとも、トグサの恨みはパズに向かう事になるとなれば、今頃見張りの交代現場に着いているだろうパズにとっては不本意きわまりない話だ。
「・・で何で俺は氷まみれになってるんだ?」
「嫌だなぁ、トグサくん。熱といったら氷で冷やすものじゃない?」
 氷で冷やす。その行為のダイナミックな解釈にトグサは絶句する。そして今の自分の現状と日常のタチコマ達の言動とを照らし合わせ、血が引いていくのを覚えた。
 彼らの好奇心の対象となったものが辿る末路の悲劇はトグサが一番よく知っている。
「そ・・そうか、ありがとうな。じゃぁ俺はもうオフィス戻るから」
 波風たてないように引きつり気味の笑顔を貼り付けてその場を離れようとするトグサだったが、そう簡単に獲物を逃がしてくれる程可愛いAI達でない事をいい加減トグサも学ぶべきである。いや、実際は学びたくないのだろうが。
「駄目だよ、トグサくん! まだ熱下がってないんだから!」
「そうだよ、第一歩けないんでしょ?」
「僕たちに任せて!」
 任せたくないから逃げたいんだというのはトグサの心中の叫びだ。
 足が立たないなら這っても逃げようとするトグサの体は数本のマニュピレーターによって拘束される。
「た、助けてくれーっ!」
「だから僕たちが助けてあげるって」
「僕たちって優しいなぁ」
 自分達の行為を善行と思って疑わない機械達はいつもの事ながら無邪気に残酷だった。
「あ、熱を下げるのに効果的な薬見つけたよー!」
 嬉しそうなデジタルボイスが不穏にハンガーに響き渡った。ネットで検索をかけていたのだろうタチコマがアームを振り回して新たなる発見を誇らしく告げる。
「座薬、だって。昔からすごく効く薬らしいよ。何でも直腸から直接、薬の成分が吸収されるため、即効性があるんだって」
「じゃぁそれをトグサくんにあげよう!」
「トグサくんなら生身だから効きもいいだろうしね!」
「座薬座薬〜」
「座薬座薬〜」
 座薬のタチコマ全員合唱。こんな聞きたくない合唱もそうはないはずだ。
「待て待て待て!! そんな薬より余程きく解熱剤が」
 医療の発達した現代において、何故昔ながらの座薬などで解熱せねばいけないのか。
 どんなにそれを主張した所で新しい新薬「座薬」に興味を示した好奇心の権化達には無意味だった。
 トグサの必死の説得も全く利かず、暴れるトグサの元に、トグサを連れてきた時と同様にハッキングされたオペレーターによって医務室あたりから持ってこられたのか紙袋が持ち込まれる。
 実物を前にすればトグサの顔色も更に青くなるというものだ。
「トグサくん、往生際が悪いなぁ」
「何か、あれだよね。そう、注射を嫌がる子供!」
「トグサくんは子供だぁ!」
「子供子供!」
「子供子供!」
 どんなに腹がたつ合唱だろうと、現状から脱出する方がトグサには先決だった。
 だが懸命に足掻くトグサの抵抗を封じると、タチコマ達は袋から薬を取り出す。
「えーと、『各一粒、直接肛門内にゆっくりと 3cm−5cm(中指の二節位)の深さまで挿入してください』だって」
「そっか、じゃぁ」
「じゃぁってタチコマ、何をする気・・って何でズボンを降ろそうとするんだ!? ってバックルを外すなっ!」
「だって、これってお尻から入れるんでしょ?」
「じゃぁズボンとパンツ脱がせなきゃ入れられないよ?」
「入れなくてもいいし、だから脱がせなくていいんだ!」
「駄目だよトグサくん! トグサくんの為なんだから大人しくする!」
「俺の為なら頼むから、本当に心から頼むからほっといてくれっ!!」
 タチコマ達に下半身を剥かれる。これほど屈辱的な事はないだろう。
 現状から救ってくれるものならば、今のトグサだったらばそれが敵だったとしてもその手に縋ったかも知れない。
 トグサの必至の懇願も空しく、マニュピレーターがトグサの体を押さえ込み、器用にスラックスを引き下ろし、トランクスをずりおろそうとしていた。
 熱で回る頭が悲鳴を上げる。纏まらない思考だがこの状況がこれ以上ないほど最悪だという事は理解できていた。
 火照った体が外気に晒され、その薄ら寒い空気に鳥肌がたつ。上着はぶちまけられた氷で濡れ体温を奪っていくというのに、更に氷の害から逃れ下半身を保温していたスラックスを奪われては、体温は逃げていく一方だった。
「さぁ、トグサくん、大人しくしようねー」
 タチコマのマニュピレーターが、最後の砦、トグサのトランクスを捉え、冷たい金属のマニュピレーターの先がウエストのゴムに掛けられた――




 随分にぎやかだな、と思った。
 タチコマ達の様子でも覗いてから上にいくか、とビル地下の駐車場に車を止めてから9課のオフィスの入っているフロアではなく、ハンガーに続くフロアのボタンを押してエレベーターの箱に乗り込んだ。
 何故か壊れている自販機を横目に歩くバトーは、細い通路の向こう、ハンガーでは青い機体が一カ所に集まって何やら騒いでいるのを見た。また少佐が機嫌を悪くするような事をしてなけりゃいいが、と顔を顰めたバトーがその塊に声を投げる。
「おい、お前達、何やってるんだ?」
「あ、バトーさんっ!」
「え、バトーさん?」
「バトーさん、お帰りーっ!」
 割れた機体の向こうに見えた物体に、バトーは電脳がショートしかけた。
 肌色が見えた。その向こうに茶色い髪が見えた時、それが自分の相棒である事に気づいた。そしてその数瞬後、その肌色がトグサの臀部であるという事にたどり着いたバトーの口はあんぐりと地につかんばかりに垂れ落ちた。
 帰ってきた自分をまさか剥かれた相棒が出迎えようとは一体誰が想像しただろう。
「な、何やってんだ!?」
「だ、旦那〜〜!!」
 地獄に仏とはまさにこの事。最悪の状態からの脱出口を見つけたトグサが、泣き出しそうな声でバトーを呼んだ。
「トグサくん、風邪で熱があるんだよ、バトーさん」
「だから、僕たちトグサくんの看病をしてあげてたの」
「熱を下げるのに取りあえずこの座薬を使おうと」
「座薬だぁ?!」
 一体こんなものどこからくすねてきたんだ・・ バトーは全く悪びれもせず堂々と語るタチコマ達の言葉に頭を抱える。言ってやりたい事は多いが、とにかく今はトグサの現状が優先だ。
「ちょっとお前達どけ。おい、トグサ、大丈夫か?!」
 見れば何故か濡れて体に張り付いた上着を羽織り、下半身はトランクスをずりおろされとんでもない格好になっている。思わず息を飲むような姿だが、彼の明らかに異常を認められる顔色を見たら茶化す気など一気に消え失せた。
「旦那・・・」
 とろけそうな笑顔がバトーを迎える。
 きっと今のトグサにはバトーが天使にも女神にも見えているだろう。――随分ごっつい天の使いだが。
「お前達っ! 病人で遊んでるんじゃねぇ!」
 タチコマ達を一喝すると、バトーは自分のジャケットを脱いでそれで相棒をくるんだ。そして両手に抱き抱えるとタチコマ達を割って医務室へ走る。
「そんなぁ。僕たちトグサくんを治してあげようと」
「あ、バトーさん〜っ!」
 誰かそろそろこのAI達に善意と好奇心の境界、それを向けて良い対象の識別を厳格に教えるべきじゃねぇのか、と毒つきながらトグサを運ぶバトーだが、間違いなくそれはバトーの役目だろうと皆は口をそろえていうだろう。
「トグサ、しっかりしろよ」
「パズが・・ タチコマ・・ 頼む・・」
 譫言のように熱にうなされながら呟くトグサ。その呟きに誤解したバトーが帰ってきたパズを責め立てるのは数時間後の話だ。
 そしてトグサが丸一日医務室の住人になるのは更にその後の話になる――





医療プレイ。そんな萌えシチュをこれかい。
期待された方すいません。
・・まぁ氷月に書けるものですから。この程度です、はい。
そして間違いなくこれからもこんなノリです。色気担当はよーこさんに任せた!(脱兎)

しかしここまでタチコマはおバカではないとは思うんですけどねぇ。



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