#66 これが幸せ
はいどうぞ、と差し出された包みに、自分はたっぷり3分は固まっていたと思う。
その包みが愛らしいピンクの包装紙で、おまけに赤いリボンなんてついていたりしなかったら。
それがよりによって「今日」という日じゃなかったら。
間違いなくこれほどの衝撃を場に提供しはしなかっただろう。
返答に困窮した結果、返すべき言葉を探し出せず、その代わりに激しく肩を落としてから、トグサはやや疲れた面持ちで、完全無欠な笑みをたたえる後輩を見た。
「あのな」
「はい?」
わずかに首をかしげるその仕草は、自分の行動が間違ったものだとなど疑ってもいないものだ。
「日頃お世話になってるトグサ先輩に、ささやかですがお礼の気持ちです」
平然とそう言いはなったプロトに、トグサは困ったような笑みを返す。
本日はといえば2月14日。
いったい何の日だなど、もはや説明するまでもない。
訂正。目の前にいる後輩を除いて。
確かに拡大させた広義の意味ではあながち間違いではない。だがそこに性別という大きな前提条件の誤りがあるのは分かっていないらしい。このイベントがどこで、または誰に与えられた知識かは不明だが、忠実にそれを実行に移した彼に罪はない。
例えそれが間違ったものだとしても。
しかし彼の今後未来を考えればここで正しい知識を与えてやるのが先輩としての勤めだろう。
衆目の面前で同性よりチョコを渡されるというハプニングに、トグサがどういう行動に出るか、完全に楽しんでいる外野をちらりと横目で見て、トグサは意を決する。
ここにアズマがいなくて良かった。トグサは今だけは彼に自衛軍への出向をいいつけた女ボスに感謝した。
プロトの好意を傷つけぬ様差し出された包みはちゃんと受け取ってから、トグサは一応確認した。
「これ、チョコか?」
「はい、そうです」
予想を裏切らなかった返答に、トグサは心中で溜め息をついた。
「えーと、すごく有り難いんだが、バレンタインってのは、基本的には女性が好きな男性にチョコを渡し自分の気持ちを伝える日なんだ」
義理チョコといった一部通例や、本来はチョコなどとは全く関係ない聖人に由来する日である事等説明してやると、プロトはあぁ、と納得したように大きく頷いた。
「だから売り場に女性しかいなかったんですね」
売り場?
トグサと外野達は半瞬遅れてその単語を繰りかえす。
「えぇ。どこに行って買うものなのか分からず、官邸やここのビルの女性職員の方に聞いたら、この時期なら百貨店で買えると皆さん懇切丁寧に教えて下さったんで」
バーゲンと並び女性の戦場と化するバレンタイン前の百貨店特設会場。そこに紛れ込んでしまった哀れなプロトの姿を想像し、トグサは目頭が熱くなるのを感じた。
「売り場の方もどういった方に送るのかとかいろいろ聞いて下さって相談に乗って下さいました」
あぁ、その前に赤服あたりに相談していれば、この罰ゲームにも似た事態を免れただろうに。トグサは同情に涙する。いや、相談などしたらむしろ初めてのおつかいとばかり全員揃って送り出すかもしれない。笑えない可能性にトグサの顔はわずかに引きつった。
この時期に男が一人チョコレート売り場にいく。その行動が周りにどう映るか。それを思うとトグサは何も知らずにこりと笑うプロトの肩を慰めるように叩いた。
トグサの心中など気付かないであろうプロトは、トグサの労りを、自分が送ったチョコへのお礼だと思い、嬉しそうに笑みを深くする。
そんな掃き違い後輩と労り先輩の光景を後ろで静観していたバトーは、小さく舌打ちした。
トグサがどういう思考に至ったのかは想像がついた。だが、バトーが辿り着いた先はトグサのとは違っていた。
整った作りをしたプロトだが、けして女性的な作りではない。明らかに男だと分かる者が、先輩に贈りたいといってチョコレート売り場でチョコを探す。
彼が義理さえも望み薄な容貌をしていたなら、バトーもトグサと同じ結論に至っただろう。だが、悲しいかな、面の皮一枚の差で、男が二人同じ状況下にあっても周囲の反応は大きく違うのだ。
賭けてもいい。きっと次にトグサがプロトと連れ立って、官邸を訪れた時、二人は熱烈歓迎をうけるだろう。
プロトにアドバイスをくれたという女性職員達の激しい妄想の。
プロトの相談にのってくれたというチョコレート売り場の女性達も、きっと今頃は姦しくあることないことないことを囀り回っているだろう。
となれば、プロトにイベントの真の意味を告げずに概要だけ教えた張本人は。
(少佐…)
彼女の高笑いの幻聴が聞こえ、バトーは頭を抑えた。
所詮自分たちは女王様の哀れなる僕、彼女の玩具なのだ。そう割り切る事が出来てしまっている自分が空しかった。
そんな悟りの域まで達してしまっている自分を哀れむバトーだが、彼もまだツメが甘かった。
もし本当にプロトのこの行為が与えられた知識を鵜呑みにした無知ゆえのものならば、トグサだけにチョコレートが贈られる説明がつかない。
つまり。
それぞれの思惑の裏を、なんとなく察したイシカワは連鎖する複雑な思惑に肩をすくめる。
だがそんな事知らなくても良いのだ。少なくとも当人達は。
「知っちまったら面白くないからなぁ」
ぼそりと呟いたイシカワの方をサイトーが振り返る。だが、そこに浮かぶ表情は訝しむものではなく、むしろ呆れた苦々しいものだ。
9課の女王様の玩具は、なにも彼女のためだけの玩具ではない。他の外野にとってもまた同じなのだ。所詮人の不幸は己の身に振りかからなければ対岸の火事。むしろ娯楽といっても過言ではない。
しかし、ただ対岸で火事を見学しているような保守的な人間はここに一人もいない事を、彼らはまもなく知る事になる。
「アズマ、もう下まで来てるって」
楽しそうに告げたのはボーマ。にんまりと笑ったのはイシカワとパズだ。
そんな悪魔どもを遠巻きにして、対岸から灯油を撒いてくれるような仲間を持った可哀想な後輩トグサが巻き込まれるだろう数分後に訪れる台風を思い、サイトーはただ瞑目するのだった。
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バレンタイン更新を100題にくっつけちゃいました。
後日、プロトに成果をそれとなく(でも興味津々で)尋ねる女性職員sに、「先輩もとても喜んでくださいました」と、誤解されることを承知の上で報告するプロトの図が目に浮かびます。
って、むしろその職員sは氷月の化身か・・
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