#95 ベッドの上
♪新しい朝が来た。希望の朝が〜♪
脳内では清々しく幼少の頃聞いた体操音楽が流れている。
このまま爽やかさだけを感じたまま、仮眠室のベッドから飛び降りてしまいたかった。
そして後ろを振り返らずにここから逃亡してしまいたかった。
若干昨晩の酔いが残ってはいるものの、至って快適な目覚め。大体体内プラントをオフにしていようが、アルコールに対して耐性がないことにはあの体育会系の塊自衛軍などでやってはいけない。
あれだけ呑んだ後だというのに体は至って快調だった。
そう、快調。
アズマは笑みを強ばらせたまま空々しく笑う。
下半身に広がるすがすがしさも、恐ろしいほどはっきり残る快調っぷりだ。
回想してみる。
夕べは9課の面々数人と飲みに行ったのだ。自分が警戒態勢の夜勤入っていた事を忘れて体内プラントをオフにしたまま呑み、イシカワの電通で慌ててこの9課ビルに戻ってきた。
心配して一応ここまで付き添ってくれていたのはトグサで。
お前は自覚が足りないだのいつにも増して先輩じみた事を言う彼が子憎たらしくも、そして可愛くもあった。酔ったふりをして絡みつけば悪態をつきながらも突き放しはしなかった彼のお人好しさに付け入った。
アズマはいまだ記憶に残る熱を確認するように己が手を見た。
トグサの抵抗を封じ込め、押し倒した。アルコールのせいにして掻き抱き、貪り、貪欲に求めた。
(やめ・・・っ アズマっ・・!)
生理的嫌悪か眦に浮かぶものさえ下半身直撃に煽った。
そう、その記憶が確かならば、いま隣に寝ているのはトグサの筈なのだ。
だが。
「・・起きたんですか・・」
空気を伝導し伝えられてきたのは、トグサの声とは似ても似つかない声。
日頃自分に向けられるその声は嫌味をこれでもかという程に内包してはいるが、その外面に比例して声音は軟らかい。だが、今日に限ってはそれは酷く剣呑だ。
「よ、よぅ」
油のきれた機械のようなぎこちない動きでアズマが首を横に向ける。けして広くはない仮眠室のベッド。そのアズマの傍らにいたのは。
その彼は気怠げに長い髪を掻き上げながら体を起こす。体を覆っていたシーツがはらりと落ち、やや細身ではあるが広い肩幅の男の体が露わになった。目を背けたい事にもちろん何も纏っていない。
自分の体はどう考えてもいたしてしまった後の清々しさを残して。
その相手だっただろう人間はトグサだったと記憶しているのだが、実際隣にいるのは彼ではなく別の人間で。
確かに昨日は酔っていた。
・・となれば導かれる答えはやはり「それ」なのか。
この世の最後が来ても、天変地異が起こったとしてもありえないと自覚している事象が、実際目の前に横たわっていれば、例え認めたくなくてもそれが現実だと認めるしかないのだろう。
「え、えーと、プロト?」
こういう状況でこういう事を聞くのは火に油を注ぐだけである事を察してはいたが、やはり事実確認はしたかった。何より自分の精神の為にも。
「何でお前がここにそんな格好でいるんだ?」
アズマの問いに、プロトは一瞬目を見張った。そしてその表情はゆっくりと笑みに変化していく。いや、この場合笑みの形をとった憤怒の相というのが的確だ。
「覚えていないんですか?」
覚えているなら尋ねたりはしない。だがそれを馬鹿正直に答えるのはさすがに躊躇われた。もしかしたら、というその可能性を考えると、アズマは返答せずに彼の答えを待つ事に決めた。
「あなたが僕に昨日何をしたか、何も全くさっぱりこれっぽっちも欠片も覚えてないと?」
はっ! と嘲りを含ませて笑い飛ばしたプロトの言葉に居心地の悪さを覚えながらも、アズマは怖々確認を取る。
「やっぱり、俺、その、お前と・・やっちゃったワケ・・?」
「トグサ先輩とお間違えのようでしたけどね。この僕をダッチワイフ代わりにする獣なんてあなたくらいでしょうね」
抵抗した腕、やめてくれと懇願した掠れた声、自分を受け入れた中の熱さ。快楽か痛みかに耐えるようにシーツを握りしめた手。それらは全てこの・・・
脳が拒絶反応をおこしかけ、全身に走る鳥肌に震えながらアズマは悲鳴をあげる。
勘弁してくれ!!
もしその記憶があったなら、自分は発狂していただろう。
「いいですね、アルコールでさっぱり記憶なしですか」
思いっきりとげとげしい嫌味がプロトから吐き捨てられる。端正な造りとは嘆かわしい程に全く反対に慇懃無礼で陰湿な人格を有した、どう考えても欠陥難ありバイオノイド。俺がこれをどうにかしてしまったと?
中途半端に残る記憶に、アズマは最早呻き声すら失い己を呪う。いくら酒で酔っていたからと言って、これとトグサとを勘違いするなど。更には抱いちまうなど。記憶が混濁する程そんなに自分は泥酔していたのか!?
「だ、大体お前なら俺くらいどうにか出来るだろう!?」
確かにアズマとプロトでは、アズマの方が体格は上だ。だが力づくで事に及ぼうとしたなら自分が無傷ですむ筈がない。
するとプロトは綺麗な顔を忌々しげに歪めた。
「僕が何者か分かってあなたはそれを言うんですか!? 僕が直接人間に危害を加えられないように出来てる事くらい想像がつくでしょう!?」
絶対の創造主である人間に忠実であれと制御されたプログラム。それがなければ彼らは仮初めの生を受ける事は出来ない。
それを利用し、性的欲求の解消道具として使われてきたのは最近の事ではない。
「うううううう嘘だろーーーっ!?!?」
「頭を抱えて叫びたいのは僕の方です」
シてしまった方と、ヤられてしまった方。普通なら当然被害者は後者だろう。
つまりこの場合プロトにあたる。
怒りで帯電する空気を纏いながらプロトがベッドから降りる。床に乱雑に散らばるのはプロトの作業着だ。その無造作ぶりが起きてしまった現実を突きつけられているようでアズマは正視出来なかった。
「・・なぁ、お前・・ この事を報告とかするワケ・・?」
「どう報告しろと? あなたなら出来ますか? 酔った同僚に・・」
「うわぁぁぁぁぁ!!」
ダイレクトにその単語を聞くことを全身が拒否している。耳を押さえて泣き出しそうな顔になるアズマをにらみつけて、プロトは服を着始めた。
「思いっきり不本意で癪ですが言いませんよ。言える訳ないでしょう? あぁ、セクシャルハラスメントであなたを停職にする折角の機会でしたのに、良かったですね」
常に被害者は泣き寝入りなのだと当てつけるようにぶつぶつと零す彼は、一段と人間味を帯びたように思えた。
「ですが」
プロトの言葉尻が強調される。
「あなたは僕に強要した事をトグサ先輩に無理強いしたいという最低な欲求をお持ちのようですが、もし今後そんな傾向が見受けられた日には、僕は恥を忍んで荒巻課長に直訴しますから」
氷の眼差し。そんな寒々しい目を向け、鬼気迫る笑みを口元に履きプロトは未だ混乱の最中にいるアズマを置いて部屋を出る。確かに無駄にプライドの高そうな彼ならば誰かに泣きつくなどはしないだろう。だがそのプライドを捨てる程の警告。
「それって俺がトグサにちょっかい出そうとしたら、即直訴って事か?」
扉の向こうに消えた背中に問うように呟くアズマだが、何はともあれ一番先にやるべき作業は決まっていた。とにかく一刻も早くこのおぞましい記憶を消してしまわなければ。
このままでは、今後相手が誰であろうといたす前にあいつの顔が過ぎって、とてもじゃないが事に及べそうにない。一歩間違えはさらば性欲の春になりかねない。自分はまだ若いのだ。この年でイ●ポなど冗談じゃない。
急いで身支度を整えるとアズマは仮眠室を飛び出した。
「トグサ先輩」
ミーティングルームで半分落ちかけていたトグサの背に、プロトの柔らかな声がかかる。数分前仮眠室でアズマに向けた声と比べると、その温度差は万年春の温暖地帯と極寒ツンドラ地帯なみの差だ。
うつらうつらとしていた頭が、入ってきた後輩の方に向けられる。しょぼついた目でトグサはプロトに挨拶をした。寝不足なのだろう彼の目の下にはうっすらクマが浮かんでいるように見えるが、それを他の課員に悟られようものならば追求の嵐にあうのは疑うまでもない。
何故寝不足なのか。それをトグサに答えられるはずがなかった。
「アズマは昨晩の事を酷く反省して、即記憶の消去にいくそうです。先輩には本当に申し訳ない事をしたとしきりに謝っていました」
「そうか・・」
トグサは表情を上手く作れず、壊れた笑みを浮かべた。
過ちとして反省し、二度と酔った勢いで羽目を外さないというのならこれ以上先輩である自分が気に留める必要はない。トグサはそう己に言い聞かせた。
昨晩、酔っぱらったアズマに仮眠用ベッドに連れ込まれた。
散々責め立てられ、アズマの下で見せた痴態は自分も記憶を消去してしまいたい程だ。
不本意の元に結んでしまった関係。だがこれからアズマとは仕事を共にしていく事を思えば、その事情を仕事に持ち込む事は出来ない。お互い起こってしまった事をそう割り切れるか、そう苦悩していた所、別用で仮眠室を訪れてしまったプロトに事後現場を目撃されてしまった。
懸命に何とか言い訳しようとしどろもどろになるトグサの状況から事態を察したのだろう、その事後処理を引き受けたのがプロトだった。
事情が事情だけに当事者間で、と断ったトグサだが、逆に当事者間だからこそ纏まらない事もありますと説得され、彼に後を託したのだ。
「・・お前にも嫌な役を任せてしまったな」
すまない、と心から謝るトグサの肩にプロトの手が置かれる。
「トグサ先輩のお役に立てるのでしたら、僕はどんな役でも引き受けます。それよりアズマも記憶を消す事ですし、トグサ先輩のそれも消去される事をお勧めしますが。何でしたらマツイさんたちに話つけますよ」
真剣に自分を心配するプロトの瞳とぶつかり、トグサの顔がようやく和らいだ。
「俺は幸せなんだろうな。お前みたいな後輩に恵まれて」
仕事上だけでなく、こんなプライベートな方面にまで身を粉にしてくれる後輩などそういるものではない。
「少しでも先輩の役にたったというのなら、そうですね・・今度何でもいいです、僕のお願いとか聞いてくださいよ」
茶目っ気を含ませたプロトの言葉に、トグサは俺に出来ることならな、と目を細めて深く頷いた。
慌ただしかった夜もあけ、勃発したとんでもない事態はどうにか収拾を見せ、ひとまずプロトは大きく溜息をついた。
仮眠室で一つベッドの上にいたトグサとアズマの姿を見た時には、かつてない程の感情の高ぶりと激しい動揺を覚えたが、どうにか事後処理は自分の思うとおりに進んだようだ。
自分の「けなげで可愛い後輩」というトグサ内の株も上がり、アズマの中の忌々しいトグサとの情事の記憶も消される。電脳の中の記憶を引き出せば実際抱いたのがどっちなのかすぐ分かるのだが、自分を抱いたと思っているアズマにそこまで考えは回らないだろう。
更にはこれからあの厄介な男がトグサに絡む事もなくなる。
そして何よりこれでしばらくはあの男は自分に頭が上がらないだろう。
「僕は一言もアズマにナニされたとはいってないですから嘘はいってませんしね」
そうぼそりと呟く彼の背中に、真っ黒な羽根が生えているのに気づく者はいるのだろうか。
さて、一体トグサに何をお願いしよう・・と考えるプロトに今有線したならば、トグサは間違いなく前言を撤回し彼の見方を180度変える事だろう。
そして後輩の様々な思いなどつゆ知らず、トグサはあと数時間後に出勤してくるだろう相棒にどうやって気づかれない様言い訳するか、それを一生懸命考えるのであった。
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一体どこまで黒くなれば気が済むのか、うちのプロト・・
すいません、何か最初はもっとトグサくんに一途なピュア(死語)な筈だったのに、筆が滑りました。
プロトくんに夢を抱いてる方々、すいませんでしたorz
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