Lullaby







(1)


(あれ…?)
 いろいろと後味の悪かったマルコの一件が片付いた後、まだバトーの様子がどことなくおかしいことに、トグサは悩んでいた。
 CIAの捜査員の対応が最後まで癪に障ったものの、あの一件はバトー自身で幕を下ろしてそれで全部終わったはずなのに。
(…まだ何か隠してるな、旦那は)
 だが、詰め寄ったところで素直に話してくれるような相手ではないことは、長くはない付き合いながら嫌と言うほど思い知らされている。
 今度の一件でもバトーが南米に行っていたことも、犯人の目星を最初からつけていたことも、全部後から知らされたのだ。
(待つしかないのか…)
 自分に出来る事なら何だってしてやりたいのに、ただ相棒の後姿を見つめることしか出来ないのがもどかしかった。

「今日も泊まりか?」
(『も』?)
 いつものように帰ろうとしていたトグサは、バトーと話すボーマの声に帰り支度の手を止めた。
「ああ、報告書を溜めててな」
「そりゃ、頑張れよ。じゃあお先に」
 ボーマはバトーの答えを信じたようだったが、トグサは違った。マルコ事件以来たいした任務もなく、トグサが知る限り未提出の報告書はないはずだった。
(まさか…)
 ある可能性に気づいたトグサは、退勤の挨拶を済ませるとある場所に向かった。

「何かご用ですか、トグサさん?」
 トグサが向かったのはオペレーター室だった。
「旦那…いや、バトーの今日から一週間前までの入門状況と勤務記録、9課ビル入口の感圧計の記録を見せて欲しい」
「申し訳ありませんが、その項目はトグサさんの機密接触資格ではお教えする事ができません」
「そこを何とか」
 トグサは食い下がるが、困り顔の相手のガードは固い。もっとも管理職でなければ閲覧できないデータを見たいとごねているトグサが悪いと言えば悪いのだが。
「私が頼んでもダメかしら?」
「少佐!」
 思わぬ援軍の登場に、トグサが思わず歓声を上げた。
「バトーの勤務記録と感圧計の記録をお願い」
「かしこまりました、すぐお出しします」
 作業に掛かった彼女たちを見て、トグサは大きく息をついた。
「…助かりました」
「気にしないで。私もバトーのことは気になってたし」
 深々と頭を下げたトグサに、草薙が微笑む。
「少佐も旦那がヘンだと思いますか?」
「…ちょっといつものバトーらしくないわよね」
 てきぱきとデータを出力するオペレーター達の作業を見守りながら、草薙が頷いた。
「お待たせしました、こちらです」
「ありがとう…貴方の推理、当たったんじゃない」
 草薙経由で差し出されたデータをチェックしたトグサは、嫌な予感が当たったことを知った。
「貴方たち、明日は勤務しなくていいわ。バトーを頼んだわよ」
「ありがとうございます」
 草薙に一礼すると、トグサは共有室に引き返した。

 
 
(2)


『…作戦発動時の交戦による死亡5 負傷10 PTSDによる退役7…現在も現役で活動中なのは1名』
 うんざりするような内容のレポートを読んでいたイシカワは、ダイブルームの扉が開く音に装置のアームを上げた。
「どうだった、少佐?」
 オペレーター室にデータをチェックしに行った草薙に、イシカワは声を掛けた。
「トグサに先を越されたわ」
「へえ…意外と鋭いんだな、あいつ」
 トグサの名を聞いて、イシカワは意外そうに言った。
 バトーの変調に気付いていたのは草薙とイシカワもだったが、バトーと付き合いの長い二人よりも先にトグサのほうが行動を起こしていた。
「そろそろ保護者役を返上してもいいんじゃない?」
「…そうだな」
 やたらと手のかかるトラブルメーカーの面倒を、成り行きで今まで見ていたのはイシカワだった。正確には、草薙に押し付けられたというのが正しいのだが。
 草薙のチームに入る前、過去に何かあったらしいとは薄々気づいていたが…イシカワや草薙には決して明かそうとしなかったバトーの心の傷がどれだけ深かったのかは、今度の一件で思い知らされた。
 …そしてそれが未だに癒えていないことも。
「…ところで、何見てるの?」
「CIAにあったバトーのデータ」
 厳重なウィルスチェックの後に解凍したファイルの中身は、膨大な数の調書と報告書、そして映像だった。
「こんなものまであったぜ。奴ら、バトーを生贄にしやがったんだ」
 イシカワがモニターに呼び出した映像をちらりと見て、草薙が形のいい眉をはっきりと顰めた。
「…あのふざけた連中、絞めてやれば良かったわね」
 初めてイシカワが出会った頃のバトーは、非常に扱いづらい存在だった。
 難関で知られるレンジャー部隊への入隊試験をクリアし、PKFの一員として南米に派遣されるほどその能力を買われていたバトーが、無気力と人間不信の塊であることに当時イシカワは驚き呆れたものだが…このデータの数々を見て、やっと真相を知った。
 当時の陸自上層部とCIAの密約によって、バトーの居た小隊はサンセット計画を発動させる起爆剤として利用されたのだ。無事に帰国出来たのはわずか数人、しかもその多くは心身に深刻なダメージを負ったという。
 おそらくバトーは自分を取り巻く全てに裏切られたと思っていたのだ。CIAに、国に、組織に、そして心底惚れた相手に。
「あいつ、立ち直れると思うか?」
「立ち直ってくれなきゃ困るわよ」
 ため息混じりに草薙が返す。
「そんなやわなタイプじゃないでしょ、あれは」
 口は悪いが、今回の一件で草薙も深くバトーの身を案じていたのはイシカワも良く知っている。何のかんのでイシカワも草薙もバトーを気に掛けているのである。
「…俺もそう思う」
 マルコの犯行の記録映像とは別の意味で目を逸らしたくなる中身の映像を、イシカワはファイルごと厳重に封印した。



(3)


 すでに夜勤の時間帯のため、ひっそりとした室内にいるのはバトーひとりだけだった。
「何だ、帰ったんじゃないのか?」
「ちょっとあんたに聞きたいことがあって」
 トグサが切り出すと、ソファにだらりと伸びたバトーが怪訝そうな顔をした。
「なんだ? おっかねえ顔して」
 トグサは手にしたデータを差し出した。
「旦那、この一週間家に帰ってないだろ」
 入門記録上はほぼ定時通りに勤務した事になっているが、感圧計の記録にはバトーがその前後に9課ビルを出入りした形跡がない。
 つまりはこの一週間、バトーはまともに帰宅していないということである。
「それがどうした?」
「とぼけるなよ、ちゃんと寝てるのか? このままじゃ、いくらサイボーグのあんただって参っちまうぞ」
 一応仮眠室はあるのだが、ホテルのベッドのように快適に眠れるはずもない。体力が資本のこの仕事で十分な休息が取れないことがどれだけ危険なことかトグサにも良くわかる。
 コンビを組んでまだ日が浅い自分が言ってバトーが聞いてくれるか自信がなかったが、それでも言わずにはいられなかった。
「…お前には関係ねえだろ」
「関係なくないさ。俺はあんたの相棒だ」
 俯いて視線を合わせようとしないバトーを覗き込むようにして、トグサは続ける。
「あんたにしてやれること、ないのか? 俺で良かったら話を聞くくらいでも…」
「…寝れねえ」
「はあ?」
 てっきりはぐらかされると思ったのに、ぼそりと返ってきた答えをトグサは一瞬理解することができなかった。
「旦那?」
 すいと長い腕が伸びて、立ったままのトグサをおずおずと抱きしめる。性的なものと言うよりは甘え方を知らない子供のような、ぎこちない抱擁だった。
「寝ようとすると、嫌なものを思い出す。あの日の日差しの強さ、青い蝶の羽の色、流れる血の匂い…」
「旦那、いいから」
 うわごとのようにバトーが呟くのは、かつてマルコの凶行に居合わせた際に見たものだろう。
「あいつを探して探して…やっと見つけたと思ったのに」
 ぎゅっとしがみついたままのバトーの頭は、トグサの胸辺りにある。いつも見上げている白い髪が意外と触り心地がいいことに驚きながら、トグサはそっと撫でてやった。
「旦那は良く頑張ったさ」
 バトーの手でマルコを始末させようとしたCIAの書いた汚いシナリオの中で、暴走しかけたとは言え良く踏みとどまったとトグサは思う。
「違う」
「バトー?」
「俺は…あいつが憎くて……忘れたいのに忘れられなくて………あの時も、今度も殺そうと思ったのに………できなかった」
 震える声が綴るのは、まるで別れた恋人への恨み節のようで。もしもバトーに涙腺が残っていたなら、間違いなく泣いていることだろう。
 泣きたいときに泣けない義体というのも不便なものかもしれない、とトグサは思った。
「辛いことは辛いって言っていいんだぜ? 全部抱えちまうから苦しいんだ」
 サンセット計画に関わった人間はその多くが精神を病んだとバトーは言った。ならばそれに巻き込まれてしまった人間も同様だろう。身体の傷以上に心の傷は厄介だ。
 トグサの直感なのだが…バトーはおそらく計画発動前のマルコを良く知っている。
 だからこそこれだけ憤り嘆き続けるのだろう。任務という名の凶行を起こしたマルコを、そしてそれを止めることが出来なかった自分の無力さを。
「旦那、ちょっと手ほどいて。苦しいよ」
 立ったままでは何もしてやれない。トグサが腕をつついて催促すると、拘束が緩んだ。
「トグサ?」
 バトーの隣に座り直したトグサは、自分の膝を叩いて見せた。
「俺で良かったら添い寝してやるぜ? だったら悪い夢も見ないだろ?」
「…固ぇ枕だ」
 てっきり一笑されると思ったのに、ぶつぶつ言いながらもバトーはトグサの足を潰さないように加減して横になる。
「添い寝するって言うなら、何か歌ってくれるんだろうな?」
「そうだな…」
 あのバトーが子守唄を要求している。あまりの椿事に緩みそうになる頬を引き締めながら、妻が子供たちを寝かしつける時に歌ってやっているメロディを思い出して、トグサはゆっくりと口ずさむ。
「…なあ旦那、起きてるか?」
 思い出せる限りの曲を歌ってやった後、トグサはそっと声を掛けてみた。しばらく待っても答えがないことにバトーが寝付いたことを確認すると、ほっと長い息を吐く。
「ちょっとは俺を頼ってくれよ」
 付き合いは浅いとはいえ、バトーの相棒であることを自負している。 重い荷物を背負って苦しんでいるのなら、少しでも軽くしてやりたい。そのために自分が居るのだ。
「…あんたのこと、ほっとけないんだ」
 起きているバトーにはとても言えない本音が、口をついて出た。



(4)


(…おやおや)
 遅くなったものの、帰ろうとダイブルームを出たイシカワは共有室の入り口で足を止めた。ソファにもたれて寝息を立てるトグサの膝を枕に、バトーが横になっている。
「バトー」
 表情を読めない義眼ゆえにバトーが起きているかどうか判別するのは至難の業なのだが、トグサの脚を潰さないために恐らく起きているだろうと踏んで名前を呼ぶと、もぞりと山が動いた。
「何やってんだ、トグサに風邪引かす気か?」  深夜は空調も落とすため、室内は何となく肌寒い。義体のバトーはともかく、生身のトグサをこのまま放置したらどうなるかわからないわけでもあるまいと思いつつ、イシカワはちくりと言った。
「わかってるが…動きたくねえ」
「いちゃつくなら、仮眠室でも行け。ここだと朝には晒し者になるぜ?」
 重ねてそう言ってやると、のっそりとバトーが身体を起こした。
「…うるさいオジイだ」
「性分でな」
 憎まれ口を叩きつつもトグサを起こさないようにそっと抱えて立ち上がるバトーを見て、イシカワは目を細めた。
「ちゃんと寝かせてやれよ?」
「わかってる。…大事な相棒だからな」
 それは小さな呟きだったが、イシカワにはしっかりと聞こえた。
 バトーのバディにトグサを付けると聞いた時は何の冗談かと思ったものだったが、こうして見るとこの凸凹コンビは上手く機能し始めたらしい。お互いの弱い部分を補い合えるいいコンビとして。
「お疲れさん、ゆっくり休め」
「おう」
 仮眠室に向かうバトーを見送って、イシカワも家路へと着く。
 ゆっくり眠って休息を取れば、いつものバトーに戻るだろう。それでめでたしのはずなのだが、バトーが自分の手を離れてしまったようで少し淋しい気もした。
(俺も甘くなったか)
 自嘲めいた苦い笑みが、唇の端に浮かんだ。


<fin>








■作者言い訳

 
  「密林航路」三部作の1で、トグサ編です。トグバト…というにはぬるすぎるかなw
 あと2本、イシカワ編とマルコ編も書きたい書きたい、と思いつつ手がついてなかったり。
 何せこの話自体着手から2年掛かったという曰く付きの話だったり(苦笑)。