いつものように出勤して、ロッカールームの扉を開けたトグサは見慣れない人影を認めて固まった。
「失礼っ!」
大きく背中の開いた黒いドレスを纏った女性が、長い髪をまとめている姿に反射的に扉を閉めたトグサだったが、ここが男性用の更衣室だということを思い出しておそるおそるもう一度開けた。
「…あのう、どちら様で?」
部外者が入り込めるような場所ではないと思いつつも、及び腰で尋ねたトグサを見て謎の女は嫣然と微笑んだ。
「俺だよ、トグサ」
「パズ?!」
両耳を隠すように垂らしたゆるく波打つ栗色の長い髪をかき上げて、美女が笑う。完璧な化粧をしているが良く見れば確かに『彼女』は同僚で。
「何でそんな格好を?」
「潜入捜査を命じられてな。ターゲットの趣味でこうなった」
華奢なハイヒールで揺らぐことなく立っているパズに驚きつつも、トグサは彼が疲れないようにベンチを勧め、自分も隣に腰を下ろした。
(うわ…)
見とれるような流麗な仕草でベンチに座ったパズに、思わず感嘆の吐息が漏れそうになってトグサは慌てた。
こんな格好をしていてもこれはあのパズなのだ…と自分に言い聞かせてみても、その仕草から目が離せない。
目が離せない事はもうひとつ。ボディラインを強調したタイトなデザインのドレスは両脇に長いスリットが際どい位置まで開いている。ちらちらとスリットから見えるドレスと同じ黒いレースは下着か靴下か。
先日のミッションで草薙が似たような格好をしていた時はそれほど動じなかったのに、今回のパズは目のやり場に困る。トグサは心底困っていた。
「どうした、トグサ。そんなに俺は美人か?」
二の腕の中ほどまである黒い手袋をはめた手が、そっとトグサの頬に触れた。顎の線をゆっくりと指で辿る仕草に、鼓動が跳ねる。
「なあ、トグサ…答えろよ」
パズからふわりと匂うのは女物の香水で、嗅ぎ慣れないその香りがトグサをさらに落ち着かなくさせる。
「…お前、卑怯だ」
「お褒めに預かり、光栄だ」
にやりといつもの顔で笑ったパズが、渋々負けを認めたトグサにそっと口付けた。
「…それ、脱げよ……」
ドレスを着たままのパズの膝の上に抱かれて、トグサが身悶える。
「これから任務なんだ、着替えなおすのは面倒くさい」
しれっと答えるパズに身体のあちこちを撫で回されて、トグサは噛み締めた唇から嬌声が漏れそうになるのを懸命に堪える。
「じゃあ、これ外せよ!」
男の象徴である喉仏を隠すためにパズの喉元に巻かれていたシフォンのストールは、今トグサの手首を拘束する枷になっていた。
「…言い訳は必要だろう?」
耳元で囁かれて、トグサが顔を赤らめた。
お互いに同性で同僚のパートナーがいる上に、さらには家庭持ちのトグサにとってこの関係は火遊び以外の何物でもない。
パズはいつもトグサに逃げ道を用意した上でどうしたいか選ばせてくれるが、それはトグサにとってはただ追い詰められるのと大差はない。
『迫られたから』『無理やりされたから』といくら言い訳をしてみたところで、もっともっととねだるほど焦らされて泣かされては何の説得力もない。経験豊富なパズにとってはトグサを落とすことなど赤子の手をひねるようなものに違いない。
「いつもより感じてるな…お前、こういう女が好みか?」
「うるさい、さっさと済ませろ!」
手袋をはめたままのパズの手がもたらすいつもと違う感覚に肌を粟立てながら、半ば自棄気味にトグサが叫ぶ。
「焦るなって」
しゅるりと微かな音がして、パズの手から手袋が外される。そして膝の上に載せていたトグサを下ろしたパズが、にやりと笑った。
「ちょっと我慢しろよ」
「え…? ちょっ…やめろって!」
後ろ手に拘束されたままベンチの上に押し倒されたトグサは、パズがしようとしている事に気づいてもがいたが、覆いかぶさる形で押さえつけられてはどうにもならない。義体化率の違いもあって、パズに力で叶う筈がないのだから。
結局パンツのベルトを解かれ、既に形を変え始めている局部を晒す羽目になった。
「イヤ…だっ」
「良くない?」
トグサの股間に顔を埋めたパズが、上目遣いに尋ねる。
(…こんなのは、嫌だ)
こうしてパズに口でされるのは初めてではないが、今日はいつもと事情が違う。
まるで血のようにも見える真紅の口紅を引いた薄い唇と、同じ色のマニキュアを塗った長い爪が自分の欲望に絡むさまは泣きたいくらい恥ずかしいのに、それでいて眩暈がするほど淫らでいつもより早いペースでトグサの劣情を煽り立てる。
「やっ…出る…っ」
思わず引こうとした腰は、抑えられて逃げられなかった。自分が吐き出したものを白い喉がゆっくりと飲み下すのを見て、トグサはいたたまれなさに横を向いた。
乱れた下着を直すのも億劫に思うほど、だるい身体を丸めたままベンチの上で転がるトグサの背後で、パズが立ち上がる気配がした。
(え…?)
「どうする、トグサ?」
パーティ用らしい光る素材で出来た小ぶりのバッグを持って戻ってきたパズが、これまた細身の煙草を出してくわえる。いつもの味と違うらしく、やや顔をしかめながらパズが訊いた。
「…何を?」
吐精すれば終わるのが男の生理というものだが、トグサはもうそれだけではないことを、嫌というほど思い知らされている。だが…だからと言って、自分からねだるにはさすがになけなしの自尊心が邪魔をする。
「さあ、何だろうな」
トグサの胸のうちを知らない訳ではないだろうに、パズは思わせぶりな笑みを浮かべたまま、悠々と煙草を吹かしている。
「なぁ、パズ…」
煙草が一本灰になった時、トグサは意を決して身体を起こした。自分からねだるのは顔から火を噴きそうな程恥ずかしかったが、このまま生殺しのままで放っておかれるのはもっと嫌だった。
「もっと、欲しい…」
顔が赤くなるのを自覚しながらやっとのことでそれだけ告げると、パズは唇の端を吊り上げた。
「良く言えたな…ご褒美にこれやるよ」
膝の上のバッグからパズが取り出したのは、手のひらに納まる大きさの一本のチューブだった。
「これ、何に使うかわかるよな」
動揺が顔に出たらしく、パズが手にしたチューブをひらひらと振りながら笑う。飾り気のない白いチューブは男同士で身体を繋げる際に必要な潤滑剤で、パズにもバトーにも使われてすっかりお馴染みの代物だった。
「自分で、しろって…?」
おそるおそる確認すると、パズは当然とばかりに頷いて長い爪をトグサに見せた。
「俺がやってやりたいのは山々なんだが、この爪じゃ怪我するぞ?」
(絶対、わざとのくせに)
口ぶりこそしおらしげだったが、パズの目は全くそんな素振りがない。そんなパズの態度が癪に障ったが、抗議するにはもう切羽詰ったところまで来ている。
「…俺が欲しいんだろ?」
ダメ押しとばかりに耳元で低く囁くパズの声に、ようやくトグサは覚悟を決めた。
「貸して」
パズからチューブを受け取ると、トグサは下着ごとパンツを膝下まで引き下げ、膝を抱えこむように身体を丸めた。
「んっ…」
指先に透明なゼリーを絞り出すと、手探りでまだ硬い蕾に塗り込める。ゼリーの冷たさに竦む身体を宥めるようにして何度も繰り返すと、すっかり覚えてしまった感覚と共に閉ざされていた入口が綻び始める。
「…っ……」
きつい内部を拡げるようにゆっくりと指を出し入れすると、腰から背中に掛けて妖しい熱が這い上がる。
はしたない声を聞かせたくなくて唇を噛み締めて耐えてみるものの、触れてもいないトグサ自身がすっかり立ち上がってしまっていては、感じていることは隠しようがない。
「パズ…もう……」
トグサが音を上げた時、体内には指が二本深々と銜え込まれていたが、指だけではもう満足出来ない身体にされている。
相棒を、そして何より妻を裏切っているという罪悪感や後ろめたさを、吹き飛ばすほどの快楽を求めて揺れる腰をトグサはためらうことなく突き出した。
「あ…ちょっ……待って」
トグサの足を掴んで身体を繋げようとしたパズを、トグサは慌てて止めた。
「今さら止めるのか?」
じろりと人を殺せそうな流し目をくれたパズも、トグサの痴態にあてられてかなり興奮していたらしい。タイトなラインのドレスの前が、はっきりとわかるほど持ち上がっていた。
「違うって…前からだと…お前の服、汚しちまうだろ?…だから……」
気を緩めればすぐにでも飛んでしまいそうな理性に縋りながらトグサは言葉を繋ぎ、自分からベンチに伏せてパズがやりやすいように足を開いて見せた。
「わかった。…行くぞ」
微かに衣擦れの音がしたかと思うと、トグサが身構えるよりも早く熱いものが突き入れられた。
「やっ…あっ……!」
指が届くずっと奥を押し拡げ、激しく抜き差しされる熱い塊にトグサは翻弄されていく。
普段なら、もっとトグサのことを気遣ってくれるのだがそんな余裕すら今のパズにはないらしい。いつも余裕綽々でトグサをリードしてくれるパズには、珍しいことだった。
「はぁっ…んっ……」
火照った頬に、ベンチの冷たさが心地良く感じる。内臓を引きずり出されそうな激しい律動に身を委ね、トグサは解放の時を待つ。
「トグサ…」
情欲に濡れた声で名を呼ばれて腰から崩れ落ちそうになるのを、パズは双丘を掴んで許してくれない。さらに爆発寸前の肉茎を戒めるように握りこまれて、トグサは涙を流して身悶えた。
「やだ…もう……っ」
絶頂の手前で焦らされ続ける辛さに、パズを銜え込んだ腰を無意識に揺らめかせ、トグサは解放をせがむ。
待ち望んだものが与えられたとき、トグサはすでに意識を手放していた。
「…パズ」
啼きすぎたか、呼ぶ声は少し嗄れていた。トグサが目覚めたことに気付いたらしいパズが、振り向く。
「必ず帰って来いよ。さっきのが最後だなんて、許さないから」
「…ばれてたか」
「少佐に聞いた」
肌を合わせるのはこれが初めてという訳ではない。パズの様子がおかしいことは、何となく気付いていた。
意識が戻ってすぐに電通でパズの任務のことを聞きだしたトグサは、それが危険な内容であることにひどく驚くと同時に、何も説明してくれないパズにいささか腹を立てていた。
「ああ、必ず帰ってくる」
「約束だからな」
念を押すトグサの額にそっと口付けると、パズはロッカーから見事な黒い毛皮のコートを出して肩に羽織った。
「パズ、時間だ」
「…今行く」
ノックと共に姿を見せたボーマに短く応えると、美しき暗殺者は颯爽とロッカーを後にした。
「…貸し、ひとつな」
パズとすれ違いざま、廊下の壁にもたれたバトーが小さく呟いた。
「あいつにあんまりヘンなこと、教えるんじゃねえよ」
「悪ぃ」
バトーがトグサを大事にしているのは承知の上で、手を出した。それは同性に惚れられることは多くても、自分から惚れることは少ないバトーが珍しくも夢中になったトグサという存在に興味を持ったからだったのだが…、今までパズがベッドを共にした相手の誰とも違う新鮮な反応を示すトグサに、パズもまたはまっていた。
「ま、今回は大目に見てやるよ」
やはりパズの事情を知っているらしいバトーの台詞に苦笑しながら、パズはボーマのエスコートでオフィスを出た。
(さっさと終わらせてくるか)
無理を言って『勤務先』にすることを頼んだ馴染みの店が差し向けてくれた迎えの車の後部座席に乗り込んで、パズは物騒なことをひとりごちる。
課せられた任務を終わらせて戻れば、草薙と約束して了承された休暇が待っている。まさか、トグサは自分がその『報酬』にされているとまでは知らないはずだが。
人を疑うことを知らないトグサを騙すようで、なけなしの良心がほんの少し痛んだが、そんな余禄でもなければこんな面倒な任務は引き受けない。
休暇の使い方を考えている間に、車は標的が定宿にしているホテルへと着いた。
「…お気をつけて」
気遣ってくれた運転手に笑みを返すと、パズは戦場へと足を踏み出した。
新聞の訃報欄に小さな記事が載り、情事の相手を腎虚で死なせた男娼が簡単な事情聴取の後に無罪放免となったのは、三日後のことである。
もちろん、死んだ男の部下の手が伸びる前にその男娼の行方がわからなくなったのは、言うまでもない。
■作者言い訳
そもそもこの話を書くきっかけになったのは、某所のチャットでの冗談からでした。
パズがGIG2話の少佐のように、潜入ミッションしたら面白いかも?ということからあれよあれよと話が膨らみまして、こうなった次第です(苦笑)。
あの時ご一緒させてくださった皆様には、心より感謝申し上げます。
そして、仕事前に何やってますか、貴方たち…という頭の悪いお話だったり。
パズのドレス姿は「鋼の錬金術師」のラストがイメージなのですが、
ドレス自体の元ネタは「BREACH」の刑戦装束だったり。(あれと違って、パズのは下もタイトなんですけどね)
ドレス着た相手でも、トグサは受け…という認識を新たにした話です。
で、『かくかくしかじかで〜』と言って見たところ、素敵なイラストを仕立てていただいてしまったり。
絵の描けない私にとって、ものすごく励みになりました♪
(パズ:アベもろうさま(毀壊の月)/トグサ:寿賀はじめさま(二又ソケット)
転載許可ありがとうございます!)
タイトルは某J−ROCkバンドの古い曲から拝借しました。
(有名なカクテルの名前でもありますけどねw<Rusty nail)
LとRで全く意味が違う、面白い単語だな〜と辞書引いて思いましたw