休日にいきなり呼び出しが掛かるのも珍しくない職場だが、今日はいささか勝手が違った。
『草薙だ』
召集に応じて本部に向かって車を走らせるパズの眼前に、コール音と共に電通画面が立ち上がる。それは先刻受けた緊急招集を告げた共用回線からではなく、草薙からの個別回線からのものだった。
『途中でサイトーを拾って来い。イシカワに座軸を送らせる』
草薙の口調に、いささか不穏なものを感じ取ったパズが眉を顰めた。
『拾うって…あいつと連絡が取れないのか?』
『自閉モードになっている』
吐き捨てるような草薙の声に、パズは思わず小さくため息をついた。と、同時に律儀すぎるほど律儀なサイトーには珍しいことだと思った。パズとベッドを共にしている時にでも非常用の呼び出し回線は空けておくのがサイトーという男である。
『了解、サイトーを拾ってすぐに向かう』
『頼んだぞ』
草薙の電通が切れるが早いか、ナビゲーションシステムに座標が転送されて来た。
(…なるほど)
道路地図と重ねて見ると、謎が解けた。サイトーがいる場所に最も近いのが自分らしい。座標が動かないことを確認すると、パズはアクセルを踏み込んだ。
(本当にここかよ)
目的地に近づくに連れて、パズは本当にサイトーがそこにいるのか不安になった。そこは自分やサイトーなど、裏稼業の人間にはあまりにも似つかわしくない場所だった。
それでも、ナビゲーションの画面はサイトーの居場所はそこだと主張している。パズはため息をひとつつくと、車から降りた。
『お気軽にお入りください』と書かれた張り紙のある重厚な扉を開けると、長い通路のある広い部屋に入る。突き当たりに大きな十字架があるこの部屋は礼拝堂で、この建物は、新浜市内にいくつかあるキリスト教の教会のひとつだった。
(いた…)
見慣れた後姿が長椅子に座っていた。声を掛けようとして、パズは一瞬躊躇した。
サイトーは前を向いて座っていた。
祈りを捧げている訳でも頭を垂れている訳でもなく、ただまっすぐ前を向いて座るサイトーに向かって、パズはゆっくりと足を運んだ。
(…?)
パズが近づいてもサイトーの背中は揺らぎもしない。人の気配に敏感な男にしては珍しい事だった。
眠っているのかと回り込んで覗き込めば、邪魔されたくなかったのか隻眼にぎろりと睨まれた。
「…招集だ。行くぞ」
お互いプライベートには踏み込まないのが暗黙の了解になって久しいが、こればかりは仕方がない。短く告げると小さく頷いてサイトーが立ち上がった。
「…聞かないのか?」
「ああ?」
助手席に収まったサイトーが、ぼそりと呟いた。不可解な行動の理由をパズが気にしていると思ったのだろう。
「お前がクリスチャンとは知らなかったな」
「…そういう訳じゃない」
デリケートな事に触れてしまったかとパズは内心焦ったが、サイトーはさほど気にしていないようで淡々と続ける。
「この前は寺で座禅を組んだし、モスクでコーランを唱えた事もある」
何でそんなことを…と聞こうとしたパズは、ある共通点に気づいた。どれも俗世間から切り離された、神の領域である。
「転職の相談でもしたいのか?」
「いいや」
サイトーは静かに首を振った。
「お前、自分が殺した人間の顔って覚えているか?」
「…そんなもん、覚える前に倒すさ」
吐き捨てるようなパズの答えに、サイトーは薄く笑った。それはどこか寒いものを感じさせる冷たい笑顔だった。
「俺は違う。相手の死を見届けるのも仕事のうちだからな」
標的の死を見届け依頼主に報告するのも狙撃手の仕事なのだろうが、だとすればサイトーは一体どれだけの死を見つめてきたことだろう。
ハンドルを握るパズから見えるサイトーの横顔はあまりにも普通で、あまりにも遠かった。
「…じゃあ、懺悔でもしてるのか?」
サイトーがその仕事にどれだけ誇りを持っているか知っているつもりだったから、違和感を覚えつつもパズは尋ねてみた。
「お前、天国って信じるか?」
「…何寝言言ってやがる」
宗教によってもいささか定義は違うが、善人が死後行く場所であることには違いない。他人を殺したり騙したりの自分たちにその資格があるとは到底思えなかった。まだ地獄のほうが近いだろう。
パズの呆れ顔に気づいたか、サイトーが笑って続けた。
「そりゃ俺も信じている訳じゃないが」
すっと笑みを消したサイトーが小声で呟いた。
「…俺が撃たなければ、普通に生きて穏やかに天国に行けたかもしれない。そう思ったらなんだかじっとしていられなくてな。時間を見つけてはこうしてる」
おそらくそれは、サイトーなりの折り合いの付け方なのだろう。
サイトーは撃たれる痛みも、撃つ痛みも良く知っている男だ。そして自分の仕事がどう思われているかも。
時に標的の仲間に恨まれ、憎まれつつも任務を遂行するのも自分の仕事と思っているらしいサイトーが、少し前のミッションで厄介な仕事を命じられたことは後から聞いた。
『任務だから』『命令されたから』と言う言い訳に逃げず、標的と真剣に向き合うのはいかにも真面目なサイトーらしい。…だが、パズには気になる事があった。
「…だからって、いつか誰かに仇討ち喰らってもいいなんて思うなよ」
サイトーがいつも首につけているドッグタグは本来戦場用のもので、いくら危険な任務が多い職場とはいえこの平和な国では不要な物のはずだし、白兵戦に参加することが少ない狙撃手には無縁の物だろう。
だとすれば、それはいつか自分が殺された時のために身に付けているのではないかという推論に辿り着く。それはパズにとっては最悪のものだった。
「おい!」
サイトーの抗議など気にせずに、パズは車を乱暴に路肩に寄せるとサイトーのタグを掴んだ。
「…一枚俺によこせ」
「俺を死体にする気か?」
呆れたようにサイトーが呟いた。
「お前の死体なんざ、誰にも見せねえ。もちろん俺も見たくねえ」
「…」
パズが何を言いたいか、サイトーにもわかったらしい。意外と華奢な鎖を手に取ってタグを外すパズを、サイトーは止めなかった。
「…何だか物凄い告白を聞いた気がする」
ぽつりとサイトーが呟いた。
サイトーは守ってやらねばならないか弱い存在と言うには程遠いが、それでもいつか手の届かない所に行ってしまいそうな危うさを孕んでいるようにパズには思える。それは何より恐ろしいことだった。
特定の人間と深い関係を作るのが苦手なパズにとって、ここまで肩入れすることなどそうそうあるものでもない。パズにとってのサイトーは、もうそういう稀有な存在になっていた。
「何なら誓いの口づけもサービスしようか?」
平日の昼間で人も車も少ないとあって、そのままサイトーの顎を取って大胆な行動に出ようとしたパズの動きが止まった。
『遅いぞ、何をしている!』
出し抜けに脳核内に最大音量で響いた草薙からの電通に、パズは頭を抱えながら渋々シートに戻った。
「少佐に怒られたか?」
パズの身に何が起きたか察したらしいサイトーが、くすくすと笑いながら尋ねた。それがいつものサイトーの笑顔であることに安心しながら、つられてパズも笑みを返す。
「ああ、続きはまた後でな。覚悟しとけよ」
「馬鹿なこと言ってないで、早く出せ」
憎まれ口を叩きながらも、サイトーはまんざらでもなさそうで。
この人に慣れない野生の獣のような男が自分の傍に居てくれる幸せを、パズは誰にも譲りたくないと思う。もしそれを奪おうとする者がいるのなら、たとえその相手が死神だとしてもきっとパズは戦うだろう。
サイトーは誰にも渡さない。胸ポケットに収めたタグの片割れに改めてそう誓うと、パズは頭の中を仕事モードに切り替えながら、再びハンドルを握った。
『サイトーさんのドッグタグが1枚の理由』『GIG#4「天敵」』を私なりに書いてみました。
サイトーさんの職業観を書きたかったはずなんですが、パズ視点にしたらどんどん明後日の方向に(苦笑)。
タイトルが非常に難産で、悩んだ末に『誓約』を意味するこの言葉になったんですが…
仮タイトルは『A prayer for the dying』だったりします。
このお話ご存知の方は、こっそり笑ってくださると嬉しいです。
(主役二人をパズとサイトーで…などという腐った妄想をしてみたり。
どっちがどっちでもはまりすぎて嫌かもですがw)
このお話は大変お世話になってます、某Cさまに謹んで捧げます。